1 創世記の思想①

創世記の思想は、「神の言葉のもつ形成力」ということである。これは本書において次の三点から力説されている。第一は、神の言葉による創造であり、第二は、神の言葉による改造であり、第三は、神の言葉による歴史である。

⑴ 神の言葉による創造
「創造は神の言葉によって成った」というのが、創世記冒頭の信仰告白である。
「はじめに神は天と地とを創造された」という頭書をもって始まる創造の叙述は、いうまでもなくバビロン的あるいは非イスラエル的な神話・伝説・古譚等から成り立っている。

ところがそれらはすべて、創世記が語ろうとする創造観の、思想表現の具として用いられ、その元の意味は変容されている。
すなわちそこには、その中のあらゆる素材を通して、一つの比類ない「確信」が語られている。
その確信とは「創造は神の言葉によって成った」ということである。
本書によれば、創造とは、「神の言のもつ形成力の宇宙的発現」である。

この確信には少なくとも、二つの深遠な思想が含まれている。
第一は、神の言葉はあらゆる「存在の根拠」であるということである。
このことに対する新約的表現は、ヨハネによる福音書序文の「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。この言葉は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた」という言葉である(ヨハネ1:1-3)。

神の言葉とは神の意志表示であり、したがって神のロゴス(言葉)とは全被造物にその所を得しめる、創造の秩序である。

第二は、神の言葉は「必ず成る」という思想である。
「神は『光あれ』と言われた、すると光があった」(創世記1:3)。
本書は一々の創造に対して「神の発言」が先行すべきであったとみている。明らかに、そこには、「神の言は語されると必ず具現する」、という真理が指示されている。
それは、人間の語る言葉が象徴し・指示するに止まり、そこに必然的に空虚がひそんでいるのとは、対蹠的な事態である。

すなわち、それが人の言葉でなく、神の言葉である、という徴は、「それが語られると必ず成る」ということである。
神の言葉は、取りもなおさず、神の「絶対主体性」の発現だからである。

ところで、神の創造の頂点ともいうべき人間創造というのは、この神の絶対主体性を弁別し得る・他の主体としての人間の創造である。
それというのは、他の一切の被造物とは異って、人間のみが、「神の言葉」に向けて造られ、神の言葉を媒介として、彼と人格的に交わり得る「主体」だからである。
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「神と永遠のいのち」

イエスは、サドカイ人から復活について聞かれたとき、サドカイ人たちに、「聖書をも神の能力をも知らない」ことを指摘し、「それに、死人の復活については、神があなたがたに語られた事を、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」と、出エジプト記3:6を引用して、その真義をあらわにされました(マタイ22:29以下。マルコ12:24以下、ルカ20:34以下)。

この言葉はいうまでもなく、神がモーセに対して、彼の父祖との関係を語られたものです。人間の側からすれば、「わたしはあなた方の父祖たちの神」と理解されます。
したがってそれは神と死者との関係を示した言葉としてしか理解されません。

しかし、「不断の現在」である神の側からみれば、アブラハム、イサク、ヤコブはけっして死んだ人ではなく、過去の人でもなく、今なお「神の前に立てる人」なのです。

「聖書の史料」⑪(終わり)

(10)特殊史料
モーセ五書中には前記のような大史料の他に極めて多くの断片的な史料が含まれています。

それらは大体詩文的なもの、散文的なもの、あるいは物語的なものから成っています。

これらはすべて前記の諸大史料の中に採り入れられて、その材料となっているものです。

その中の知られたものを挙げます。
⚫︎レメクの歌(創世記4:23-24)
さて、レメクはその妻たちに言った。
「アダとツィラよ。私の声を聞け。
レメクの妻たちよ。私の言うことに耳を傾けよ。
私の受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち傷のためには、ひとりの若者を殺した。カインに七倍の復讐があれば、レメクには七十七倍。」

⚫︎ノアの呪詛と祝福(創世記9:25-27)
ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った。
「のろわれよ。カナン。
兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
また言った。
「ほめたたえよ。
セムの神、主を。
カナンは彼らのしもべとなれ。
神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。
カナンは彼らのしもべとなれ。」

⚫︎イサクのヤコブ祝福(創世記27:27-29)
ヤコブは近づいて、彼に口づけした。イサクは、ヤコブの着物のかおりをかぎ、彼を祝福して言った。
「ああ、わが子のかおり。
主が祝福された野のかおりのようだ。
神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒をお与えになるように。
国々の民はおまえに仕え、国民はおまえを伏し拝み、おまえは兄弟たちの主となり、おまえの母の子らがおまえを伏し拝むように。
おまえをのろう者はのろわれ、おまえを祝福する者は祝福されるように。」

⚫︎イサクのエサウ祝福(創世記27:39-40)
父イサクは答えて彼に言った。
「見よ。おまえの住む所では、地は肥えることなく、上から天の露もない。
おまえはおのれの剣によって生き、おまえの弟に仕えることになる。
おまえが奮い立つならば、おまえは彼のくびきを自分の首から解き捨てるであろう。」

⚫︎ヤコブの祝福(創世記49章)
ヤコブはその子らを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は終わりの日に、あなたがたに起こることを告げよう。
ヤコブの子らよ。集まって聞け。
あなたがたの父イスラエルに聞け。
ルベンよ。あなたはわが長子。
わが力、わが力の初めの実。
すぐれた威厳とすぐれた力のある者。
だが、水のように奔放なので、もはや、あなたは他をしのぐことがない。
あなたは父の床に上り、そのとき、あなたは汚したのだ。
 ――彼は私の寝床に上った――
シメオンとレビとは兄弟、彼らの剣は暴虐の道具。
わがたましいよ。彼らの仲間に加わるな。
わが心よ。彼らのつどいに連なるな。
彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに牛の足の筋を切ったから。
のろわれよ。彼らの激しい怒りと、彼らのはなはだしい憤りとは。
私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。
ユダよ。兄弟たちはあなたをたたえ、あなたの手は敵のうなじの上にあり、あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。
ユダは獅子の子。
わが子よ。あなたは獲物によって成長する。
雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。
だれがこれを起こすことができようか。
王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。
ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。
彼はそのろばをぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を、良いぶどうの木につなぐ。
彼はその着物を、ぶどう酒で洗い、その衣をぶどうの血で洗う。
その目はぶどう酒によって曇り、その歯は乳によって白い。
ゼブルンは海辺に住み、そこは船の着く岸辺。
その背中はシドンにまで至る。
イッサカルはたくましいろばで、彼は二つの鞍袋の間に伏す。
彼は、休息がいかにも好ましく、その地が、いかにも麗しいのを見た。
しかし、彼の肩は重荷を負ってたわみ、苦役を強いられる奴隷となった。
ダンはおのれの民をさばくであろう、イスラエルのほかの部族のように。
ダンは、道のかたわらの蛇、小道のほとりのまむしとなって、馬のかかとをかむ。
それゆえ、乗る者はうしろに落ちる。
主よ。私はあなたの救いを待ち望む。
ガドについては、襲う者が彼を襲うが、彼はかえって彼らのかかとを襲う。
アシェルには、その食物が豊かになり、彼は王のごちそうを作り出す。
ナフタリは放たれた雌鹿で、美しい子鹿を産む。
ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える。
弓を射る者は彼を激しく攻め、彼を射て、悩ました。
しかし、彼の弓はたるむことなく、彼の腕はすばやい。
これはヤコブの全能者の手により、それはイスラエルの岩なる牧者による。
あなたを助けようとされる。
あなたの父の神により、また、あなたを祝福しようとされる全能者によって。
その祝福は上よりの天の祝福、下に横たわる大いなる水の祝福、乳房と胎の祝福。
あなたの父の祝福は、私の親たちの祝福にまさり、永遠の丘のきわみにまで及ぶ。
これらがヨセフのかしらの上にあり、その兄弟たちから選び出された者の頭上にあるように。
ベニヤミンはかみ裂く狼。
朝には獲物を食らい、夕には略奪したものを分ける。」
これらすべてはイスラエルの部族で、十二であった。これは彼らの父が彼らに語ったことである。彼は彼らを祝福したとき、おのおのにふさわしい祝福を与えたのであった。
彼はまた彼らに命じて言った。「私は私の民に加えられようとしている。私をヘテ人エフロンの畑地にあるほら穴に、私の先祖たちといっしょに葬ってくれ。
そのほら穴は、カナンの地のマムレに面したマクペラの畑地にあり、アブラハムがヘテ人エフロンから私有の墓地とするために、畑地とともに買い取ったものだ。
そこには、アブラハムとその妻サラとが葬られ、そこに、イサクと妻リベカも葬られ、そこに私はレアを葬った。
その畑地とその中にあるほら穴は、ヘテ人たちから買ったものである。」
ヤコブは子らに命じ終わると、足を床の中に入れ、息絶えて、自分の民に加えられた。

⚫︎紅海渡渉の歌(出エジプト15:1-18)
そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。
「主に向かって私は歌おう。
主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。
主は、私の力であり、ほめ歌である。
主は、私の救いとなられた。
この方こそ、わが神。
私はこの方をほめたたえる。
私の父の神。
この方を私はあがめる。
主はいくさびと。
その御名は主。
主はパロの戦車も軍勢も海の中に投げ込まれた。
えり抜きの補佐官たちも
葦の海におぼれて死んだ。
大いなる水は彼らを包んでしまい、彼らは石のように深みに下った。
主よ。あなたの右の手は力に輝く。
主よ。あなたの右の手は敵を打ち砕く。
あなたは大いなる威力によって、あなたに立ち向かう者どもを打ち破られる。
あなたが燃える怒りを発せられると、それは彼らを刈り株のように焼き尽くす。
あなたの鼻の息で、水は積み上げられ、流れはせきのように、まっすぐ立ち、大いなる水は海の真ん中で固まった。
敵は言った。
『私は追って、追いついて、略奪した物を分けよう。
おのれの望みを彼らによってかなえよう。
剣を抜いて、この手で彼らを滅ぼそう。』
あなたが風を吹かせられると、海は彼らを包んでしまった。
彼らは大いなる水の中に鉛のように沈んだ。
主よ。神々のうち、だれかあなたのような方があるでしょうか。
だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行うことができましょうか。
あなたが右の手を伸ばされると、地は彼らをのみこんだ。
あなたが贖われたこの民を、あなたは恵みをもって導き、御力をもって、聖なる御住まいに伴われた。
国々の民は聞いて震え、もだえがペリシテの住民を捕らえた。
そのとき、エドムの首長らは、おじ惑い、モアブの有力者らは、震え上がり、カナンの住民は、みな震えおののく。
恐れとおののきが彼らを襲い、あなたの偉大な御腕により、彼らが石のように黙りますように。
主よ。あなたの民が通り過ぎるまで。
あなたが買い取られたこの民が通り過ぎるまで。
あなたは彼らを連れて行き、あなたご自身の山に植えられる。
主よ。御住まいのために、あなたがお造りになった場所に。
主よ。あなたの御手が堅く建てた聖所に。
主はとこしえまでも統べ治められる。」

⚫︎ミリアムの歌(出エジプト15:21)
ミリヤムは人々に応えて歌った。
 「主に向かって歌え。
 主は輝かしくも勝利を収められ、
 馬と乗り手とを海の中に投げ込まれた。」

⚫︎アマレクに対する宣告(出エジプト17:16)
「それは『主の御座の上の手』のことで、主は代々にわたってアマレクと戦われる」と言った。

⚫︎契約の箱の歌(民数記10:35-36)
契約の箱が出発するときには、モーセはこう言っていた。
「主よ。立ち上がってください。
あなたの敵は散らされ、あなたを憎む者は、御前から逃げ去りますように。」

⚫︎渓谷の歌(民数記21:14-15)
それで、「主の戦いの書」にこう言われている。
「スパのワヘブとアルノンの谷川とともに、谷川の支流は、アルの定住地に達し、モアブの領土をささえている。」

⚫︎井戸の歌(民数記21:17-18)
そのとき、イスラエルはこの歌を歌った。
「わきいでよ。井戸。
――このために歌え――
笏をもって、杖をもって、つかさたちがうがち、民の尊き者たちが掘ったその井戸に。」

⚫︎ヘシボン陥落の歌(アマレク嘲笑の歌)(民数記21:27-30)
それで、ことわざを唱える者たちが歌っている。
「来たれ、ヘシュボンに。
シホンの町は建てられ、堅くされている。
ヘシュボンから火が出、シホンの町から炎が出て、モアブのアルを焼き尽くし、アルノンにそびえる高地を焼き尽くしたからだ。
モアブよ。おまえはわざわいだ。
ケモシュの民よ。おまえは滅びうせる。
その息子たちは逃亡者、娘たちは捕らわれの身である。
エモリ人の王シホンによって。
しかしわれわれは彼らを投げ倒した。
ヘシュボンからディボンに至るまで滅びうせた。
われわれはノファフまでも荒らし、それはメデバにまで及んだ。」

⚫︎バラムの託宣(民数記23:7-10、18-24、24:3-9、15-19)
バラムは彼のことわざを唱えて言った。
「バラクは、アラムから、モアブの王は、東の山々から、私を連れて来た。
『来て、私のためにヤコブをのろえ。
来て、イスラエルに滅びを宣言せよ。』
神がのろわない者を、私がどうしてのろえようか。
主が滅びを宣言されない者に、私がどうして滅びを宣言できようか。
岩山の頂から私はこれを見、丘の上から私はこれを見つめる。
見よ。この民はひとり離れて住み、おのれを諸国の民の一つと認めない。
だれがヤコブのちりを数え、イスラエルのちりの群れを数ええようか。
私は正しい人が死ぬように死に、私の終わりが彼らと同じであるように。」
ーー
バラムは彼のことわざを唱えて言った。
「立て、バラクよ。そして聞け。
ツィポルの子よ。私に耳を傾けよ。
神は人間ではなく、偽りを言うことがない。
人の子ではなく、悔いることがない。
神は言われたことを、なさらないだろうか。
約束されたことを成し遂げられないだろうか。
見よ。祝福せよ、との命を私は受けた。
神は祝福される。
私はそれをくつがえすことはできない。
ヤコブの中に不法を見いださず、イスラエルの中にわざわいを見ない。
彼らの神、主は彼らとともにおり、王をたたえる声が彼らの中にある。
彼らをエジプトから連れ出した神は、彼らにとっては野牛の角のようだ。
まことに、ヤコブのうちにまじないはなく、イスラエルのうちに占いはない。
神のなされることは、時に応じてヤコブに告げられ、イスラエルに告げられる。
見よ。この民は雌獅子のように起き、雄獅子のように立ち上がり、獲物を食らい、殺したものの血を飲むまでは休まない。」
ーー
彼は彼のことわざを唱えて言った。
「ベオルの子バラムの告げたことば。
目のひらけた者の告げたことば。
神の御告げを聞く者、全能者の幻を見る者、ひれ伏して、目のおおいを除かれた者の告げたことば。
なんと美しいことよ。
ヤコブよ、あなたの天幕は。
イスラエルよ、あなたの住まいは。
それは、延び広がる谷間のように、川辺の園のように、主が植えたアロエのように、水辺の杉の木のように。
その手おけからは水があふれ、その種は豊かな水に潤う。
その王はアガグよりも高くなり、その王国はあがめられる。
彼をエジプトから連れ出した神は、彼にとっては野牛の角のようだ。
彼はおのれの敵の国々を食い尽くし、彼らの骨を砕き、彼らの矢を粉々にする。
雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を横たえる。
だれがこれを起こすことができよう。
あなたを祝福する者は祝福され、あなたをのろう者はのろわれる。」
ーー
そして彼のことわざを唱えて言った。
「ベオルの子バラムの告げたことば。
目のひらけた者の告げたことば。
神の御告げを聞く者、いと高き方の知識を知る者、全能者の幻を見る者、ひれ伏して、目のおおいを除かれた者の告げたことば。
私は見る。しかし今ではない。
私は見つめる。しかし間近ではない。
ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。
その敵、エドムは所有地となり、セイルも所有地となる。
イスラエルは力ある働きをする。
ヤコブから出る者が治め、残った者たちを町から消し去る。」

⚫︎アマレク・カイン・エベルに関する託宣(バラムの最後の託宣)(民数記24:20-24)
彼はアマレクを見渡して彼のことわざを唱えて言った。
「アマレクは国々の中で首位のもの。
しかしその終わりは滅びに至る。」

⚫︎モーセの歌(申命記32:1-43)
天よ。耳を傾けよ。私は語ろう。
地よ。聞け。私の口のことばを。
私のおしえは、雨のように下り、私のことばは、露のようにしたたる。
若草の上の小雨のように。
青草の上の夕立のように。
私が主の御名を告げ知らせるのだから、栄光を私たちの神に帰せよ。
主は岩。主のみわざは完全。
まことに、主の道はみな正しい。
主は真実の神で、偽りがなく、正しい方、直ぐな方である。

主をそこない、その汚れで、主の子らではない、よこしまで曲がった世代。
あなたがたはこのように主に恩を返すのか。
愚かで知恵のない民よ。
主はあなたを造った父ではないか。
主はあなたを造り上げ、あなたを堅く建てるのではないか。
昔の日々を思い出し、代々の年を思え。
あなたの父に問え。
彼はあなたに告げ知らせよう。
長老たちに問え。
彼らはあなたに話してくれよう。
「いと高き方が、国々に、相続地を持たせ、人の子らを、振り当てられたとき、イスラエルの子らの数にしたがって、国々の民の境を決められた。
主の割り当て分はご自分の民であるから、ヤコブは主の相続地である。
主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。
鷲が巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。
ただ主だけでこれを導き、主とともに外国の神は、いなかった。
主はこれを、地の高い所に上らせ、野の産物を食べさせた。
主は岩からの蜜と、堅い岩からの油で、これを養い、牛の凝乳と、羊の乳とを、最良の子羊とともに、バシャンのものである雄羊と、雄やぎとを、小麦の最も良いものとともに、食べさせた。
あわ立つぶどうの血をあなたは飲んでいた。」
エシュルンは肥え太ったとき、足でけった。
あなたはむさぼり食って、肥え太った。
自分を造った神を捨て、自分の救いの岩を軽んじた。
彼らは異なる神々で、主のねたみを引き起こし、忌みきらうべきことで、主の怒りを燃えさせた。神ではない悪霊どもに、彼らはいけにえをささげた。
それらは彼らの知らなかった神々、近ごろ出てきた新しい神々、先祖が恐れもしなかった神々だ。あなたは自分を生んだ岩をおろそかにし、産みの苦しみをした神を忘れてしまった。
主は見て、彼らを退けられた。主の息子と娘たちへの怒りのために。
主は言われた。
「わたしの顔を彼らに隠し、彼らの終わりがどうなるかを見よう。
彼らは、ねじれた世代、真実のない子らであるから。
彼らは、神でないもので、わたしのねたみを引き起こし、彼らのむなしいもので、わたしの怒りを燃えさせた。
わたしも、民ではないもので、彼らのねたみを引き起こし、愚かな国民で、彼らの怒りを燃えさせよう。
わたしの怒りで火は燃え上がり、よみの底にまで燃えて行く。
地とその産物を焼き尽くし、山々の基まで焼き払おう。
わざわいを彼らの上に積み重ね、わたしの矢を彼らに向けて使い尽くそう。
飢えによる荒廃、災害による壊滅、激しい悪疫、野獣のきば、これらを、地をはう蛇の毒とともに、彼らに送ろう。
外では剣が人を殺し、内には恐れがある。若い男も若い女も乳飲み子も、白髪の老人もともどもに。
わたしは彼らを粉々にし、人々から彼らの記憶を消してしまおうと考えたであろう。
もし、わたしが敵のののしりを気づかっていないのだったら。
――彼らの仇が誤解して、
『われわれの手で勝ったのだ。
これはみな主がしたのではない』と言うといけない。」
まことに、彼らは思慮の欠けた国民、彼らのうちに、英知はない。
もしも、知恵があったなら、彼らはこれを悟ったろうに。
自分の終わりもわきまえたろうに。
彼らの岩が、彼らを売らず、主が、彼らを渡さなかったなら、どうして、ひとりが千人を追い、
ふたりが万人を敗走させたろうか。
まことに、彼らの岩は、私たちの岩には及ばない。
敵もこれを認めている。
ああ、彼らのぶどうの木は、ソドムのぶどうの木から、ゴモラのぶどう畑からのもの。彼らのぶどうは毒ぶどう、そのふさは苦みがある。
そのぶどう酒は蛇の毒、コブラの恐ろしい毒である。
「これはわたしのもとにたくわえてあり、わたしの倉に閉じ込められているではないか。
復讐と報いとは、わたしのもの、それは、彼らの足がよろめくときのため。
彼らのわざわいの日は近く、来るべきことが、すみやかに来るからだ。」
主は御民をかばい、主のしもべらをあわれむ。
彼らの力が去って行き、奴隷も、自由の者も、いなくなるのを見られるときに。
主は言われる。
「彼らの神々は、どこにいるのか。
彼らが頼みとした岩はどこにあるのか。
彼らのいけにえの脂肪を食らい、彼らの注ぎのぶどう酒を飲んだ者はどこにいるのか。
彼らを立たせて、あなたがたを助けさせ、あなたがたの盾とならせよ。
今、見よ。わたしこそ、それなのだ。
わたしのほかに神はいない。
わたしは殺し、また生かす。
わたしは傷つけ、またいやす。
わたしの手から救い出せる者はいない。
まことに、わたしは誓って言う。
『わたしは永遠に生きる。
わたしがきらめく剣をとぎ、手にさばきを握るとき、わたしは仇に復讐をし、わたしを憎む者たちに報いよう。
わたしの矢を血に酔わせ、わたしの剣に肉を食わせよう。
刺し殺された者や捕らわれた者の血を飲ませ、髪を乱している敵の頭を食わせよう。』」
諸国の民よ。
御民のために喜び歌え。
主が、ご自分のしもべの血のかたきを討ち、ご自分の仇に復讐をなし、ご自分の民の地の贖いをされるから。

⚫︎モーセの祝福(申命記33章)
これは神の人モーセが、その死を前にして、イスラエル人を祝福した祝福のことばである。
彼は言った。
「主はシナイから来られ、セイルから彼らを照らし、パランの山から光を放ち、メリバテ・カデシュから近づかれた。
その右の手からは、彼らにいなずまがきらめいていた。
まことに国々の民を愛する方、あなたの御手のうちに、すべての聖徒たちがいる。
彼らはあなたの足もとに集められ、あなたの御告げを受ける。
モーセは、みおしえを私たちに命じ、ヤコブの会衆の所有とした。
民のかしらたちが、イスラエルの部族とともに集まったとき、主はエシュルンで王となられた。」「ルベンは生きて、死なないように。
その人数は少なくても。」
ユダについては、こう言った。
「主よ。ユダの声を聞き、その民に、彼を連れ返してください。
彼は自分の手で戦っています。
あなたが彼を、敵から助けてください。」
レビについて言った。
「あなたのトンミムとウリムとを、あなたの聖徒のものとしてください。
あなたはマサで、彼を試み、メリバの水のほとりで、彼と争われました。
彼は、自分の父と母とについて、『私は、彼らを顧みない』と言いました。
また彼は自分の兄弟をも認めず、その子どもをさえ無視し、ただ、あなたの仰せに従って
あなたの契約を守りました。
彼らは、あなたの定めをヤコブに教え、あなたのみおしえをイスラエルに教えます。
彼らはあなたの御前で、かおりの良い香をたき、全焼のささげ物を、あなたの祭壇にささげます。主よ。彼の資産を祝福し、その手のわざに恵みを施してください。
彼の敵の腰を打ち、彼を憎む者たちが、二度と立てないようにしてください。」
ベニヤミンについて言った。
「主に愛されている者。
彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。
彼が主の肩の間に住むかのように。」
ヨセフについて言った。
「主の祝福が、彼の地にあるように。
天の賜物の露、下に横たわる大いなる水の賜物、太陽がもたらす賜物、月が生み出す賜物、昔の山々からの最上のもの、太古の丘からの賜物、地とそれを満たすものの賜物、柴の中におられた方の恵み、これらがヨセフの頭の上にあり、その兄弟たちから選び出された者の頭の頂の上にあるように。
彼の牛の初子には威厳があり、その角は野牛の角。
これをもって地の果て果てまで、国々の民をことごとく突き倒して行く。
このような者がエフライムに幾万、このような者がマナセに幾千もいる。」
ゼブルンについて言った。
「ゼブルンよ。喜べ。
あなたは外に出て行って。
イッサカルよ。あなたは天幕の中にいて。
彼らは民を山に招き、そこで義のいけにえをささげよう。
彼らが海の富と、砂に隠されている宝とを、吸い取るからである。」
ガドについて言った。
「ガドを大きくする方は、ほむべきかな。
ガドは雌獅子のように伏し、腕や頭の頂をかき裂く。
彼は自分のために最良の地を見つけた。
そこには、指導者の分が割り当てられていたからだ。
彼は民の先頭に立ち、主の正義と主の公正をイスラエルのために行った。」
ダンについて言った。
「ダンは獅子の子、バシャンからおどり出る。」
ナフタリについて言った。
「ナフタリは恵みに満ち足り、主の祝福に満たされている。
西と南を所有せよ。」
アシェルについて言った。
「アシェルは子らの中で、最も祝福されている。
その兄弟たちに愛され、その足を、油の中に浸すようになれ。
あなたのかんぬきが、鉄と青銅であり、あなたの力が、あなたの生きるかぎり続くように。」
「エシュルンよ。
神に並ぶ者はほかにない。
神はあなたを助けるため天に乗り、威光のうちに雲に乗られる。
昔よりの神は、住む家。
永遠の腕が下に。
あなたの前から敵を追い払い、『根絶やしにせよ』と命じた。
こうして、イスラエルは安らかに住まい、ヤコブの泉は、穀物と新しいぶどう酒の地をひとりで占める。
天もまた、露をしたたらす。
しあわせなイスラエルよ。
だれがあなたのようであろう。
主に救われた民。
主はあなたを助ける盾、あなたの勝利の剣。
あなたの敵はあなたにへつらい、あなたは彼らの背を踏みつける。」

「聖書の史料」⑩

(9)聖潔の律法【H】

聖潔の律法はdas Heiligkeitsgesetz―the Code of Holinessの頭文字をとって普通Hと呼ばれます(レビ記17-26章=「神聖法集」と呼ばれるすべての民に向けた規定集。)。

この律法書が現存レビ記中に含まれていることは、初めて1877年、ドイツ・キエル大学教授、アウグスト・クローステルマンによって発見されました。

この律法書の中心を要約しているのは、「あなたがたの神、主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」という言葉です(レビ記19:1-2)。

Hは、この「聖」の概念から、申命記の古い律法を批判し、訂正し、拡張したのであり、同時にHは祭司法典建設に対する前段階を築く役目を果しています。

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これから聖書を読む方にも、すでに読まれた方の「再確認」にも必要なことを書いた記事の目次です。
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聖書に、旧約聖書と新約聖書の二つがあるのは何故か。イエスの弟子たちは、イエスの十字架の復活を証明するために、当時、神の言葉としての権威が定着していyた聖書(旧約聖書)を用いて証明したのです。新約聖書はその証明の足跡です。預言による証明、契約による証明、約束による証明、予型による証明、証言による証明の五つからなっています。
新約聖書と旧約聖書 (通読用)
ブログ形式で読まれる方は、下記を。
☆☆新約聖書と旧約聖書☆☆二つを結ぶ五つの論理☆☆

聖書の神は、有無を言わせずの神ではありません。旧約聖書では、神と人との対話、新約聖書では、人と人との対話で構成されています。旧約聖書で、処罰として国を失わせる場合にさえ、すべての民が納得するまで対話をする神です。新約聖書では、イエスは「人として来た神」ですから、人と人との対話になります。新約聖書の多くの書簡も人と人との対話です。
対話(通読用)

旧約聖書、新約聖書の「約」の字は「契約」を意味します。契約は、聖書の骨格と言えます。モーセが石の板に神の指で書き記された「十戒」から、イエスの十字架の血による契約に至るまでには、多くの変遷があります。神と人との最初の契約であるシナイ契約からイエスの十字架の血による契約までを時系列で追いました。
契約(通読用)

すべてのことに先行して知らなければならないのは、「教会とは、何か?」です。A教会にはA教会の答えがあるでしょう。B教会にはB教会の答えがあるでしょう。でも、「教会とは?」の唯一の答えは聖書にしかありません。教会の超世界性、教会の内世界性、教会の共世界性、教会の外世界性、教会の抗世界性、教会の充世界性、教会の終末が、その答えです。
教会とは?(通読用)

イエスの「再臨」の約束から時間が経つと、自身の信仰に弛緩が起こり、疑いの方が増大するようになりました。そうした中で「信仰の再確認」をするためと、新しく教会に加わった信徒を教えるために書かれたのが福音書ですが、中でもマタイによる福音書は、旧約聖書からの引照を多用して、この目的を充足しています。
旧約聖書の預言1-21


「はじめに神は天と地とを創造された」という頭書をもって始まる創造の叙述は、いうまでもなくバビロン的あるいは非イスラエル的な神話・伝説・古譚等から成り立っています。ところがそれらはすべて、創世記が語ろうとする創造観の思想表現の道具として用いられ、その元の意味は変容されています。旧約聖書各書の思想を追ってみます。
「旧約聖書各書の思想」 創世記の思想1-39結び

同一のイエスの伝記としての形をとるので「共観福音書」とよばれる三福音書が新約聖書の冒頭におかれているのは、「いったい何故か」という疑問をよびおこします。
三福音書は共通材料をもちながら、しかも「一」をもって他に代えられない特殊性をもつので、そこにおかれています。理論としては、共観福音書ばかりでなく、新約聖書としては27巻、それぞれが他に代えられないキリストへの個性的な「キリスト証言」です
新約聖書各巻の思想1-27

新約聖書には、旧約聖書を「廃棄する」と「遵法する」という相反する二つの態度があります。この関係を解明する鍵は「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」(マタイ5:17)という言葉です。旧約聖書はキリストがなければ、「空虚な器」にすぎず、キリストが来たとき、その容器全体が満たされます。キリストによって、「空虚な器」としての旧約聖書は、「満たされ」ることになり、その本来の目的が「成就され」ることになった、という意味です。
成就1-23

聖書は、雑駁な言葉の束、という見方があります。それに対する反論が「聖書の縦の理解」と「横の理解」です。この二つをみれば、聖書が雑駁な言葉の束どころか綿密に設計された書物であることがわかります。
聖書縦の理解1-8
聖書横の理解1-8

イエスの弟子たちは、旧約聖書39冊と新約聖書27冊、合わせて66冊の書物を「教会の正典」(信仰と生活の基準)として決定しました。ところが初代教会時代以降、今日まで聖書に対する混迷が続いています。その混迷は、三つに分けられます。「寓意的解釈」「信条的解釈」「歴史的解釈」です。いずれも、人の言葉で書かれた聖書から、神の言葉を聞こうとしたものです。人言としての聖書が、神言となるのは唯一聖霊の働きによることを忘れた混迷です。
混迷の二千年1-23

「教会とは?」という問いに、A教会は、Aと答えます。B教会は、Bと答えます。そしてC教会は、Cと答えます。聞けば聞くほどわからなくなります。「教会とは?」の唯一の正しい答えは、聖書にあります。「教会の超世界性」「教会の内世界性」「教会の共世界性」「教会の外世界性」「教会の抗世界性」「教会の充世界性」「教会の終末」の7つがその答えです。
教会の超世界性1-4
教会の内世界性1-7
教会の共世界性1-3
教会の外世界性1-8
教会の抗世界性1-3
教会の充世界性1-8
教会の終末1-4

イエスは、天国を「経済的側面」「社会的側面」「政治的側面」「宗教的側面」から語っています。
イエスの語る天国1-7

聖書は、神と人との「契約」が骨格になっています。旧約聖書は「神とイスラエル」との契約です。新約聖書は「神と教会」との契約です。前者は「旧い」契約で、後者は「新しい」契約です。
聖書の「契約」は、神と人との間、人と人との間に結ばれるもので、どちらも宗教的性格をもっています。
「旧い契約」から「新しい契約」1-14

たとえば、創世記のアダムとエバが、神の禁令を破ったのは、「邪推」によるものとみています。神に選ばれた民という既得権益にしがみついた結果、ユダヤ人はイエスを十字架につけて殺しました。創られたものと、創ったものの区別がつかなくなった(主客転倒)結果、義人ヨブは神からお叱りを受けました。


新約聖書では、旧約聖書の契約観が、言及または引用としてはそのまま継承され、一応それが容認されていました(ガラテヤ3:15、ロマ書9:4、エペソ2:12、ルカ1:72、使徒3:25、7:8、黙示録11:19、ヘブル9:4など)。その用語なども「シナイ契約」(ヘブル8:9)、「契約の櫃」(ヘブル9:4)、「契約の石の板」(ヘブル9:4、黙示録11:19)、「幕屋」および「大祭司」(ヘブル8:3)、その他いわゆる幕屋に関する種々の用語などがあります(ヘブル9:1以下)。
新しい契約1-5

聖書は、「時代別」になっています。
構造的に進めてゆくと、
第一に「律法」で、「神と選民の育成」をみ、
第二に「預言者」で、「神と選民の実践」をみ、
第三に「書冊」で、「神と選民の失敗」をみています。
聖書の時代別1-5

教会が、第二世紀半ばに入ると、新しい情勢が発生してきました。多くの地域に存在していた個々の教会に、連関ができてきて、一つの有機的な教会世界が形成されて、その世界での秩序と慣習とが生まれてきたのです。その状況が「新約聖書」(信仰と生活の基準の書)への「信仰的積極的要請」と「実際的消極的必要」とが意識されるようになったのです。
「新約聖書が書かれた理由」1-7

聖書は、人間の「信仰的決断」の記録の書です。
①「上なるもの」に対する自覚的決断で、歴史の方向が決定されています。
(もちろん歴史は決断でつくられますが、聖書の場合は「上なるもの」という特定なものを「明らかに自覚することで決断する」ことを言います)
②自覚的決断の在り方で、地理的・物質的なものが善用または悪用されています。
信仰的判断

聖書最初の契約は、「安息日の契約」です。永遠の契約と呼ばれています。次の契約が、ノアの洪水の後にノアと結んだ「ノアの契約」です。これも永遠の契約です。人間以外の全生物との契約で、「虹をみたら、この契約を思い出せ」といわれています。虹は、弓を横たえた形をしており平和の象徴です。この後、聖書は、創世記12:1-3のアブラハムに対する「根源契約」へと進んでいきます。
聖書中、もっとも美しい契約

平成天皇が皇太子の頃、聖書をお教えした渡辺善太氏の「聖書正典論」を岡村民子博士が平易にしたものを記載しました。
聖書正典論1-20